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最近の学芸員の投稿
最近のイベント情報(開催日順に表示)
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月17日
黒原の野神さんと淀川水害
 寝屋川市黒原城内町には、野神さんがあります。
 野神さんとは五穀豊穣を祈念した神様のことだそうですが、黒原城内町の野神さんはもともとは道祖神だったそうです。道祖神とは賽ノ神とも云いますので、黒原の守り神でもあったのでしょう(寝屋川史話100題)。
 黒原地区と隣接する対馬江地区や守口市金田地区には淀川の蛇行した流路跡が昭和37年ごろの地図や空中写真などから見出すことができます。
 また対馬江地区や津島部神社では淀川の中州だった伝承が残っています。これらから類推すると黒原の野神さんは淀川の水害から地域を守る神様だった可能性もあったのでしょう。黒原の野神さんはもしかすると古代の茨田堤の痕跡なのかもしれません。
Written by 暇仁
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月17日
河内長野市の高野街道リニューアル工事(その5)
大阪ミュージアム構想の中で、河内長野駅前から三日市町駅までの、高野街道が「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」で、第一ゾーンの河内長野駅前の整備が行われて、西條橋付近が新しくなりました。石川には三本の橋が架かっています。真ん中の西條橋は、昭和3年3月に竣工した橋で「舊西條橋(きゅうさいじょうばし)」と書かれています。河内長野方面から橋を渡ると、別区坂、別名「別久坂・別宮坂・ビックリ坂」とも呼ばれ、中世の長野庄の東条(三日市方面)と西条(長野村)に分ける「別区坂」が境界線と推定されます。また、烏帽子形城が街道を城内に取り組んでいるために、街道は山腹に沿って迂回しています。烏帽子形山の中腹まで約30mを一気に登る急坂で、高野街道の難所の一つであったところから、別久坂(ビックリ坂)と呼ばれています。「別宮坂」は一説によると、烏帽子形八幡宮(伝、昔応神天皇の離宮であった)に登る坂であったため、「別宮坂」と言われています。対岸の石垣の水面から上に、草の生えた仲に石の突起が!
5か所見られるところが、大昔の橋の跡だそうです。周りには道標等も作られて、風景が一変しました。コースが分かりやすくなったので、便利になりました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月14日
「黄金のまち堺から静寂の高野へ」第三回目のリレーウォーク
「高野街道にぎわい再発見プロジェクト」で、5月12日に第三回目のハイキングが実施されました。ガイドの皆さんは8時に金剛駅前に集合しました。堺ボランティア7名と橋本ボランティア3名の皆さんの応援で、拠点の案内をしていただきました。参加者83名でした。5班に分かれて、24名のガイドが参加して、受付やガイドの対応をしました。9時15分から10分間隔でスタートしました。参加者の多くは、堺市や橋本市、富田林市、河内長野市からの参加でした。スタート前にひまわり娘さんが、「私たちのグループは、家族ですので仲良く、ハイキングを楽しみましょう」とのかけ声でスタートしました。大阪狭山市のガイドも無事問題なく終了し、11時30分松ヶ丘公園に到着しました。その後45分間の食事タイムとなりました。12時20分に出発して、河内長野市内を移動しました。松林寺は、樹木の説明を田中博士が行い、無患木(むくろじゅ)の実を拾って説明しました。盛松寺では、周り風景を見てもらいました。その後、寺ヶ池では教科書に出ている中村与次兵衛の苦労話を聞いてもらいました。明忍寺、清明塚、原の辻を回り、巡礼道に新しく作られた堺港の灯台の様な灯籠に、堺のボランティアの皆さんが驚かれていました。九里の里程標を確認して、河内長野駅前では、高野街道新道標で、今回のコース確認を行いました。長野神社を経由して、今回のゴールの西條酒造さんの店先で、解散式を行い、第四回目のハイキングでの再開を約束しました。男性参加者は女性のガイドさんと、女性参加者は男性ガイドさんと握手をして、改善点があれば話してほしいと、ひまわり娘さんから提案されました。○配布された地図をカラーでA3タイプにしてほしい、○ゆっくりしたいグループの区別を、○もっとガイドを聞きたかった、などが提案されました。時間どおりに終了してホッとしています。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月14日
御堂筋フェスタ 2012
5月13日、大阪の御堂筋を歩行者天国として開放しアートやダンスなどで盛り上げる、「御堂筋フェスタ2012」が開かれました。
大阪のメインストリート・御堂筋が歩行者天国となるこのイベントは今年で10回目。
今年から名称を「御堂筋フェスタ」と改め、開催エリアも新橋交差点から難波西口交差点までと拡大され実施されました。
ミュージックライブやオープンテラス、よさこい踊り、和太鼓、華やかなウェディングドレスのファッションステージなどの多彩なイベントのほか、10周年を記念して、韓国、イタリア、マレーシアも参加する国際交流プログラムもありました。
また、とんぼりリバーウォークではジャズをききながら道頓堀川を周遊するクルーズや水上結婚式などもありました。
屋台も並び、御堂筋にはこの日大勢の人が訪れて様々なイベントを楽しんでいました。
Written by ユーミン
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月14日
北河内のひなだ
 写真は守口市梶町2丁目のひなだです。ひなだとは守口周辺で用水路を利用した洗い場をひなだと呼んでいるそうです。
 調べてみると寝屋川市から大東市まであったことがわかりました。
 当時は用水路も清浄な水が流れていたのでしょう。復元される日が待ち遠しいです。
 さて先日大阪市役所で財団法人大阪市下水道協会のPR誌、人と地球のうるおいマガジン・メールVol10を見ると大東市の御領水路の記事が書かれていました。御領水路は寝屋川と切り離されてから、水質汚濁が始まりましたが、東大阪市にある寝屋川流域下水道鴻池水みらいセンターの処理水を送水するようになってから、かつての水郷景観が復活しました。まさに水のピンチテクノロジーを活用した町おこしでした。
Written by 暇仁
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月14日
神崎川改修 饒足の碑
 これは宮鳥橋西、摂津市安威川南町、番田井路沿いの石碑です。建立は明治13年4月で、建立場所がほぼ安威川改修の起点であったので、ごく最近まで安威川改修に関わる碑と錯覚していました。
 この碑は、鳥飼八町の人々が当時大阪府知事であった渡辺昇氏の功績をたたえるために建立したもので、渡辺昇氏による「饒足」の篆額があります。当時の鳥飼八町の人々の心意気と繁栄を感じます。
 渡辺昇は薩長同盟を周旋した人物で、坂本龍馬とも接点の多い人物です。また大佛次郎の小説、鞍馬天狗のモデルという説もあるそうです。
 碑文には、明治維新以降鳥飼別府一津屋では4度水害にあったこと、別府一津屋で蛇行していた神崎川を明治12年7月に直線化した、そして水害が激減したことなどが書かれています(郷土摂津いにしえ通信第82号)。
Written by 暇仁
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月8日
5月河内長野市の観光案内所のディスプレイ
5月の河内長野市の観光案内所のディスプレイのメインテーマは、カサブランカさんの考えで「新緑の季節」です。書は皐月について書かれています。1日に、改装を見に行けなかったので、広報部のTさんが、倶楽部の広報誌に書かれていたものをだまって借用しました。「5月のディスプレイの作業現場にお邪魔した。今月のテーマは「花の文化園」だそうで、展示も花!花!で占められている。ポスターは、花の文化園の「Fululu Flower Festival 4.14〜5.27」。飾られている花は、5月らしくカーネーション。童謡は「若葉」。さらに書は、「皐月」。そして可愛らしい人形。写真は勿論、「花の文化園」の庭である。当案内所に来られる、お客様に対応をしながら、展示作業をされていた。テーマや飾り付け狙いを決め、さらに全体の飾り付けのイメージを湧かせることからはじまっているようである。そして展示品の選定をし、素材を持ち込む。展示する写真の選定では、イメージに合ったものかを決めるのも大変な作業。書の飾り付けのレイアウト、花の飾り付け、そして全体の飾り付けが行われる。今月もまた、皆さんの協力によってすばらしい展示が行われた。」と書かれていました。サブテーマの新緑便りに、何が登場したのか、6日に訪ねてみました。右端にはシリーズ化したいとの話があった、カサブランカさんが行きつけの美容室のお母様が作られた人形が並んでいました。男女のかわいらしい、抱き合ったハイキング姿の子どもの人形でした。下の段の中央には、子どもの日にちなんで、地位さな木製のだるま落とし、けん玉、輪投げが置いてありました。子どもたちの健やかな成長を願っての展示では、「ふるさと歴史学習館」でも、【節句幟」が収蔵庫展示品として、飾られていますので見に行ってください。花の文化園の北側5分のところです。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月7日
節句幟
本日久しぶりに「ふるさと歴史学習館」へガイドに行ったら、学習館の収蔵庫展示会が行われていました(~5/27まで)。二本の手描きのすばらしい節句幟が飾られていました。案内書には次のように書かれていました。5月5日に武者絵と家紋を入れた幟を上げて、男の子の健やかな成長を願ったものです。
(右)神功皇后節句幟
手書きで書かれた節句幟で、図柄は神功皇后です。神功皇后は、「古事記」「日本書紀」によれば、仲哀天皇(14代目)の皇后で妊娠中に新羅(朝鮮半島)へ遠征し、これを征服した後、筑紫へ帰って、応仁天皇を出産したと言われています。
皇后の足元に描かれたのは、生まれたばかりの応仁天皇を抱く武内宿禰(5人の天皇に仕え、大変長生きであったと言われる)で、節句幟にこの図柄が描かれるのは、これらの伝説から母子の健康と長寿を祈ったためです。
(左)筒描き神功皇后節句幟
筒描きという方法によって作られた幟で、図柄は神功皇后です。筒描きとは、糊に米ぬか・石灰等を混ぜて作った防染糊を筒に入れ、絞り出しながら絵柄を描く技法で、明治・大正時代のころに盛んになりました。幟の場合は、刷毛や筆を使って染料を塗り、染め上げて、表裏同じ工程を繰り返します。糊を置いた部分は、染料が入らず白く残ります。この幟の乳の部分がミシン縫いであることから、昭和30年代以降のものと思われます。乳とは、買った後、縫い目を麻の葉や星等、子どもの健康や厄除けの意味を持つ形にして、自分の家で縫いつけたものです。
この辺りに所在する住吉大社は、その由緒書きに、神功皇后による創建と伝えられています。皇后が新羅征伐の凱旋の後、天下を巡行されたとき、河内に行幸されたと伝えています。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月7日
環濠都市平野郷を訪ねて 〜大念佛寺 万部おねり〜
5月1日〜5月5日、平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺で行われた「万部おねり」に行ってきました。
大念仏寺は1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まりです。
平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、日本最初の念仏道場といわれます。
「万部おねり」とは聖聚来迎会と阿弥陀経万部会が融合された大念仏寺最大の伝統行事の通称名です。
聖聚来迎会は無量寿経の中の「その人、寿(いのち)が終わる時にあたって極楽浄土から二十五菩薩を従えてその人を迎えに来るであろう」という阿弥陀仏の願いを具体的に表現した儀式で、平成14年に大阪市無形民俗文化財に指定されています。
万部おねりの期間中、毎日午後一時頃より娑婆世界から極楽浄土に出現される一大極楽絵巻が詠讃歌舞、踊躍念仏、稚児行列などを先頭に始まります。楽役による雅楽の音に先導され二十五体の菩薩のおねりによる絢爛豪華なる来迎の世界がこの世に出現し続いてご本尊十一尊天得阿弥陀如来、法主猊下がお渡りされます。(入御)
本堂内では、ご本尊に菩薩が手渡しでお華をお供えされる荘厳な「菩薩伝供」が行われ続いて「阿弥陀経万部法要」が行われ檀信徒参詣者による先祖追善回向があり菩薩が極楽浄土の世界から娑婆世界へとお還りになられます。(還御)
1795年(寛政7年)小林一茶がこの寺に参拝し、この万部おねりを見物し『春風や 巡礼どもが 練供養』という句を吟じておりその句碑が山門の前に建立されています。
Written by ユーミン
学芸員の投稿
Update: 平成24年5月1日
狭山池まつり2012
4月28日と29日に、恒例の「狭山池まつり2012」が行われました。私は、29日に狭山池博物館のボランティア活動に参加しました。9時30分に博物館へ着いたときには、すでに大勢の人が動き始めていて、博物館も通常の10時開館前にオープンしていました。博物館は、狭山池周辺でのスタンプラリーの中心ポイント地点で、大勢の人が入館していました。スタンプラリーは6ヵ所の捺印をもらうが、3つのクイズポイントと3つのスタンプポイントがあり、先着1,000名に大阪府自転車商防犯協会から提供された記念品がもらえるそうです。朝一番に狭山池の堤に上がってみたら、所狭しとテント張りの販売所がつくられて、賑やかでした。狭山池博物館の喫茶店の前庭のガーデン広場では、「博・楽・人」会場で、時間毎に和太鼓・絵本ライブ・さやりんのショー・歌声喫茶等が行われていました。予想では8万人のお客さんがお見えになる様です。狭山池の周辺には、模擬店・フリーマーケット・野点・陶器・クラフトまつり等が準備されていました。「空から狭山池を見てみよう」では、遊覧ヘリコプターが上空を飛行していました。5分間のフライトで1人4,000円でした。
朝一番に、大阪府のOBの方のハイキングの団体(30名位)が来られて、ガイドを希望されたので、時間限定の30分で全館を案内しました。カナダや中国からの団体もお見えになりました。狭山池博物館では、ミニ展示として、4月28日〜5月27日まで、発掘調査速報展として、○陶邑(すえむら)窯跡群として、陶器山310号窯の調査では、7世紀の瓦の「生産工場」跡の出土品の展示がされています。また、○弥生の美ということで、船橋遺蹟の弥生土器が展示されています。さらに○近つ飛鳥のとある一面として、須賀古墳群の特殊な土器の展示がされています。産経新聞等で紹介されていて、朝から見物に人が来られていました。
Written by マロンさん